イベントウォーク
2016年秋の陣
呼坂本陣(周南市熊毛)→〈下向〉花岡本陣(下松市)
2011年春の陣
都濃郡・熊毛郡の郡境碑にて
仮装のスタッフたちと
●山陽道ウォーク
「山陽道を歩こう」のイベント企画は、私が職員をしていました、周南市教育委員会付属の周南市新南陽民俗資料展示室で、2008年に開催した周南地区の「山陽道」を扱った企画展が端緒でした。
2008年春の企画展「山陽道を歩こう」で「富田から椿峠(つばきだお)」まで、萩本藩の御用絵師の有馬喜惣太が18世紀に作成した長州内の山陽道を描いた江戸時代の古地図『御国廻行程記』『行程記』を中心にして、徳山高専教授の工藤洋三教授が米国文書館から発掘された空襲以前の周南地域の航空写真を相互補完的に使いながら、山陽道に面した寺社仏閣、町並み、石碑、伝説伝承などを紹介したものでした。その斬新さで、多くの方にご来場頂きました。
この企画展に合わせて、企画展で紹介する山陽道のコースをウォーキングするという企画を、市民の皆さんの熱い要望もあって、イベント企画することになりました。交通の便を考慮して戸田駅→富田駅間とし、昼食を当資料館に設定して企画展を見学してもらおうという計算です。私が代表となって「山陽道を歩こう会」を立ち上げることになりました。
なにせ、初めての体験で、当時ウォーキングは、福川の中村秀昭さん主催の「陶(すえ)の道を歩く」イベントくらいしかなくて、中村代表にセキュリティや運営のノウハウなどいろいろ指南頂きました。教育委員会の職員さんの手助けや参加者のみなさんに支えられながらなんとかやり遂げたことを記憶しています。
同時に、地元のケーブルテレビ「シティ・ケーブル周南」の白石清史さんから「この企画展に合わせて、テレビでも山陽道を紹介する番組を作りませんか」と持ち掛けられました。企画展の運営とウォーキングのイベントで頭がパニックでしたから、エッーという感じだったのですが、この際、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、企画展+ウォーキングイベント+TV企画「山陽道の旅」のトリプル“山陽道尽くし”に燃え尽きることにしました。精神的にも体力的にもとてもキツかったことを覚えています。
でも、この時の勇気とガンバリがあったからこそ、今の「山陽道を歩こう会」があるのです。何とか船出し、発展していったのでした。そして、周防地区の山陽道の参勤と下向の達成することができました。
その年の秋の企画展は、春の企画展の続編で、「山陽道を歩こう partⅡ~富田から花岡まで~」。続編でもあり、TVの放映の宣伝効果もあって、よりたくさんのご来場を頂き、かつウォークイベントのほうも大盛況でした。こうして、軌道に乗ったのです。
2008年(平成20年)春の企画展「山陽道を歩こう」
於周南市新南陽民俗資料展示室
徳山高専工藤洋三教授提供の大写真(夜市から徳山付近)
第一回山陽道を歩こう(戸田駅→富田駅)
ポスター(2008年春)
第一回山陽道を歩こう(戸田駅→富田駅)
戸田駅集合 初陣です。
ポイントで説明 まだハンドマイクを使っていました高専の工藤教授も参陣です(前列左端)。同級生のいよや(和菓子・福川)も応援してくれて、名物みそ饅頭を参加者全員に振る舞ってくれました。
初回からいきなりコスプレ登場です。やがてスタッフのスタンダードになっていきます。進化の過程は注目です。襟称は「山陽道を歩く会」-一字入る余裕を失う(苦笑) うしろ右端にこのあと周南市ボランティアガイドの会を立ち上げる山﨑会長
周南市新南陽民俗資料展示室2008年秋の企画展
「山陽道を歩こう partⅡ」
第2回「山陽道を歩こう~富田から花岡~」ポスター
(新南陽駅から花岡駅へ)
開催は春と秋の年2回、春の祝日(昭和の日)と秋の祝日(文化の日)にという「日にち」が定まりました。
ポスターに前回のフォトを使うようになりました。
富田政所集合 コスプレも凝ってきます。ついにワラジにこだわっています。肩掛けマイクに進化しました。
富田川 音羽橋手前から中腹の川崎観音を望む
富田川音羽橋を参勤中 旗は手作りです
いろんな人が手伝いを申し出るようになりました。この人、のちに拳銃と模造刀を持った竜馬に変身します。お楽しみに。
遠石緑地公園で楽しいお弁当
第三回は春の陣 福川本陣から富海の本陣まで10km超を歩きます。両本陣とも御門が残っています
福川駅前にて記念撮影。参加者も協力者も増えてきました。認知されるようになってきました。中央は大きなカメラを持ってサポートの陶の道を歩く会の中村秀昭会長